特集前書き

今回の特集は「硫酸と苛性ソーダ」をどこまでも掘り下げようと思います。

硫酸や苛性ソーダは、繊維工業・鉄鋼業・肥料や有機薬品製造など、工業分野のほとんどで必要な薬品であるにも関わらず、その危険性だけフォーカスされ「危険な薬品」というだけの認識で終わっていないでしょうか?

しかし、化学工業の側面で見ると、歴史の中ではとても重要な役割を担ってきた薬品です。

まずはその歴史から解説し、硫酸と苛性ソーダの持つ特性や取扱方法を深く掘り下げてみようと思います。

 


硫酸の歴史

硫酸が初めて造られたのは、8世紀頃で、アラビア人であるゲーベルという錬金術師によって発見されたとされています。

8世紀のアラビア人(アラブ人)は、7世紀にムハンマドがイスラム教を興し、イスラム帝国が領土を広げていた時期です。

ウマイヤ朝からアッバース朝にかけてがちょうど8世紀のあたりですが、領土はアラビア半島からモロッコやイベリア半島まで拡大していた時期です。

その頃のアッバース朝は、エジプトやバビロニアの伝統文化を土台として、アラビア、ペルシャ、インドやギリシア、中国など諸文化の融合がされ、学問が著しく発達した時期です。

そんな8世紀のアラビアで硫酸は初めて造られました。

 

ちなみに、その頃の日本はちょうど奈良時代で、貴族・仏教文化の時代です。

和同開珎という貨幣が流通し、墾田永年私財法によって農民のモチベーションは上がりましたが、同時に重税に苦しんでいた時代です。

 

話を戻します。8世紀に初めて造られた硫酸は、ミョウバンを乾留して造ったと言われます。

 

その後、硫酸は15世紀に硫黄と硝酸から作られ、17世紀中ごろにイギリスで半工業的に作れるようになりました。

日本国内で初めて出来た硫酸工場は、18世紀に大阪で作られました。

この時の製造量は1日当たり180キロでとても採算が合わず、すぐに閉鎖されることになりました。

 

苛性ソーダの歴史

苛性ソーダは正しくは水酸化ナトリウムと言います。

化学の歴史をざっと見ると、人類の文明は古来よりアルカリを求めていました。

それは石鹸を作る為に必要であり、製紙の為、ガラスを作る為に必要でした。

 

古代エジプトでは、数千年前から「ナトロン」と呼ばれる天然に産出する鉱物を使い(諸説ありますが、炭酸ナトリウム水和物と炭酸水素ナトリウムを主成分とし、不純物として塩化ナトリウムや硫酸ナトリウムを含む鉱物)、石鹸やミイラ作りなど様々な用途でアルカリが使用されていました。

その一つがガラスの製造で、少なくとも7世紀まではナトロンが使用されていました。

ナトロンが得られない地域では、木を燃やして灰を作り、その上澄みを煮詰めて炭酸カリウムを得ていました。

そこに消石灰を混ぜれば水酸化カリウムとなり、これを油と混ぜれば石鹸となります。

石鹸を量産しますが、ヨーロッパでは木を燃やし過ぎて少なくなってしまいます。

 

そこで次は海藻を燃やして炭酸ナトリウムを得ます。

同じ要領で、水酸化ナトリウム(苛性ソーダ)を得ることが出来、こちらを使った方が固い石鹸が出来る、という事で流通しましたが、やはり海藻も多くは採れませんでした。

とにかく炭酸ナトリウムがあれば大量に石鹸が作れるのですが、原料が不足していました。

当時は科学的な組成も構造も解っていませんでしたが、炭酸ナトリウムでは無く「ソーダ灰」と呼ばれていました。

ちなみに「ソーダ」というのはアラビア語で「頭痛」「頭痛薬」を意味します。

どれだけ当時炭酸ナトリウムが頭痛の種になっていたかわかりやすいですね。

「アルカリ」という単語もアラビア語で「植物の灰」という意味です。炭酸カリウムも炭酸ナトリウムも区別せず、そう呼ばれていたようです。

 

そして1780年前後、政治的な事情で資源不足に陥ったフランスが「海の塩からソーダ灰を作る」方法を公募します。

その公募に応える形で1791年に特許を得て登場したのが「ルブラン法」です。

海水と硫酸を混ぜて硫酸ナトリウムを作りそれに石灰(炭素)と石灰石(炭酸カルシウム)を混ぜて焼く、という方法でソーダ灰を得る方法が確立され、水酸化ナトリウムの大量生産が可能になりました。